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| 命懸け | ●生きているとは死んでいない状態のことをいう。というのは誤解です。●人は、死を迎えるまで 生きている。というのは、本当のことです。●人は、この世に生まれたときから、死のプログラムを 実行している。時限爆弾の時計が時を刻む様に。●死は怖い。でも、人は一分一秒死に近づいて いる。●恐らく、人は一分一秒死んでいるのだろう。●脳細胞が死んでいく様に、その死が余りにも 微々たる死であり、自覚が無いだけなのだ。●つまり、人が生きているとは、死んでいるということで ある。●故に、誰しも命懸けで生きているのだ。言い替えれば、人は常に命を消費している。●大事 なときだけ、「命懸けでやります」などと言うのは、命の本質を知らない人だ。つまり、自分の命を粗 末にしている証拠である。●誰もが、常に、一分一秒、命懸けで生きている。だから、もっと自分の 命(生きていること)を大切にしなければならない。●自分の命さえ大切に出来ない者は、他人の命 を大切にすることは出来ない。●公金を横領したり、子供を殺したり、女を殺したりする暇があったら、 もっと自分自身を大切にしよう。●そして、他人の命も大切にするパースペクティブ(思いやること) を持とう。黙っていても所有してしまっている命を大切なものとして自覚するには、豊かなイマジネーシ ョンが必要だ。●生きているとは、死んでいないことであるという誤ったイマジネーションだけはこの世 から撲滅しなければならない。●人は、誰でも、毎日を命懸けで生きているのです。 |
| 信用 | ●信用できる人ってどんな人? ●うーーん。難しいね、まじめに考えると・・・・ ●そうかな?要するに、言っていることと、やっていることが同じ人じゃないのかな? ●口で言うことと、行動することはちがうからね。 ●言行一致って言うよね。 ●言うだけなら、誰にだってできる。 ●どんな小さなことでも、それを確実に実行するって大変なんだよね。 ●だから、時間の約束なんかは、その人が信用できるかどうかのメルクマール(指標)にな る。 ●約束を守れるかどうかって大きいよね。 ●小さな約束の積み重ねが信用の基になるんだ。言動と行動のギャップが少ないほど信用 できる人ってことじゃないかな。 ●自分は何も行動しないのに、他人のことばっかり非難している人っているけど、それって、 どうしようもない人だよね。 ●本当!でも、そういう人ってこの世の中にゴロゴロしている。 ●カッコイイこと言い放しの人が、意外と人気があったりしてね。 ●でも、自分にできることだけを約束していると、どうしても地味っぽくなるよね。 ●社長室の壁に、「信用第一」なんて額を飾っているけど、信用を築くことが、それだけ難し いことってことかな。 ●会社は法人と言われる訳だから、社会的に法的人格が常に問われている。信用の無い 会社は存在価値が無いことを意味するんだよね。 ●でも、この世の中、悪いことでもしなければ儲からない仕組みになっているっていう人も多 いよね。 ●悪いことというのは極端にしても、塀の上を歩くような危険や、裁判の判断に委ねなければ 合法性が認められない場合があることは確かだね。でも、社会や、市民の信用を失うようなこ とをすれば、厳しく評価されなければいけないし、市民も軽軽しく水に流すようなことをしゃちゃ いけない。 |
| 本気ですか | ●全く困ったもんだ。景気が悪くて・・・・・。 ●それは、困りましたね。あなたは、お客様を大切にしていますか。 ●勿論です。 ●本当に大切にしていますか。 ●大切にしています。 ●本当ですか?本当に大切にしていますか? ●ほ・・・・・本当ですよ。どうして、そんなに疑うんですか? ●疑っているのではありません。聞いているんです。 ●だから、大切にしているって言ってるじゃないですか。 ●本当に、本当ですね?本気で大切にしているんですね? ●本当ですよ。本気ですよ!もう。 ●本当に、本気ですね。 ●嫌になるなー!もう!そんなに私の言うことが信じられないなら、 聞かないでください! ●はい。もう,聞きません。その代わり、お客様を大切にするとはどう いうことか、常に自問自答してください。 あなたの本気や、惰情はそのままお客様に伝わってます。 |
| やってみなはれ | ●人は自ら決断し、行動した事柄の中から、真実を発見するものである。 ●真実とは、正しいとか、間違っているという価値を超えたものである。 ●誰もが正しいと認めるものを真理といい、私にとってかけがいの無いも のを真実という。●「我が子はかわいい」という命題は、真実であっても、真 理であるとは限らない。●世の中の事柄は、真理に導かれるものと、真実 に導かれるものに二分される。●真実に導かれるものは、常に相対的であ り、玉虫色であり、絶対的ではない。●真理に導かれるものは、整然とし、 体系化され、時代を超えて、降り積もる雪のごとく積み重なっていく。●真実 は、常に嵐の中にあり、降る雪も常に吹き飛ばされ、留まることを知らない。 川に翻弄される木の葉。波打ち際の城郭のようである。●真理は、世の中の 誰かが追い求め、突き詰めている。●しかし、真実は、私自身が命がけで突 き詰めなければ手にすることはできない。私以外の誰も追い求めてはくれない。 ●真実は、命がけで生きていく過程でみつけていくしかない。●何事も、やっ てみなはれ!結果はついてくる。 |
| 敵の見えない戦場 | ●日本の社会は平和ではありません。戦場です。●小学生が殺人をする。母が娘を殺す。 見知らぬオヤジが、教室に押し入り子供を殺す。そんな社会を平和な社会と言いますか? ●日本の社会が平和だと言っている人は、たまたま自分の身の回りでそうした事件が無い からです。●それは、逆ではないですか?たまたま事件に遭遇した人が不運だっただけで、 普通の人の普通の生活は普通であって、いたって平和です。●では、ちょっと考えてみてく ださい。事件に遭遇したした人は、何故そうなってしまったのでしょうか。●不運としか、言い 様がないですね。●なるほど。じゃあ、そうした不運が、殺人や、拉致や、自殺といったカタチ で、社会的に連続して発生するようになった時、いつまで単なる「不運」と片付けられるのでしょ うか?不運であったことには違いないとしても、そうした事件が起こる素地、環境、原因がある のではないか?●文部科学省は、早速「命の大切さ」についての再点検を各学校でやるように 呼びかけた。●学校教育?地域教育?親の責任?・・・・・ちょっと待ってくれと言わなければな らない。「命の大切さ」は、どこかで習うものなのだろうか?命の大切さを改めて教えなければ ならない社会こそ問われなければならないのではないのか?●大自然と隔絶した学校教育の 閉鎖的な基本姿勢。人と人の触れ合いや、接触、いざこざ、喧嘩、仲直りといった人間関係の 機微を体感する機会の喪失。子供たちを、塾だ塾だとせかす親。学校、勉強、進学という模式 化された価値観を是とし、人づきあい、遊び、道草、けんかを非とする画一教育。●画一教育 をするなら、いっそ「読み書きそろばん」で画一教育をすべきではないか。どう生きるか、命の 大切さなどは、授業以外の場で十分に学べるのだ。授業以外の場が、すべて塾の場にすり替 えられてしまっては、何をか言わん。●子供たちを追いこんでいる誰かが居る。何かがある。 何だ?●少なくとも、狭いゲージの中で餌を与えられながら育てられる子供たちではなく、野原 で自由に転げまわり、自然や人との関わりから自分のちっぽけな価値観を木端微塵に打ち砕 き、また再構成するたくましさを勲章にする子供たちであって欲しい。●そうした子供たちの姿 を見守るゆとり。ゆとり教育が必要なのは、むしろ教師や、大人たちだ。●子供たちを追い込 んでいる何か。見えない敵を見透かすために、何よりも先ず、大人自身の心にゆとりを取り 戻す必要がある。 |
<さあ眠りなさい>
●また戦場で日本人が死んだ。橋田さんと小川さんだ。二人はジャーナリストとして、死の可能性を十分考慮
して仕事をしていたのだと思う。●恐らく自らの死という自己責任のとりかたを覚悟した上での活動であったの
だろう。●新潟県では、毎年のように600人、100人の貴重な命が失われている。自殺と交通事故死である。
●銃弾が飛び交う戦場ばかりが「戦場」ではない。●私たちが生きている場、そのものこそ戦場なのである。
●戦場へ仕事に赴く人々を思う度に、冒険家やアルピニストの姿をダブらせてしまう。●計画し、準備をし、時
の状況を見て判断し、人知を尽くして目標にたどり着こうとするものたち。危険な挑戦だからこそ、一切の危険
を排除しようとする英知と勇気。10年、20年の血の滲むような準備を無に出来るほどの決断力をもつ者でなけ
れば、生きて帰ることは不可能なのである。●戦場へ行かず、暮らす地が戦場である私たちは、一体何を準備
し、どのような英知を身につけ、何を決断しなければならないのか。●横田さん、曽我さんは、平和な日本という
幻と対峙しながら、正に戦場の人そのものなのである。●平和ボケした首相や外務省の役人は、横田さんや曽
我さん、そして帰らぬ家族を待つ拉致被害者が戦場の人であることを理解していない。●国民を戦争状態の中
に置き去りにし、自らは傷つくことのない有刺鉄線の外から、自分の利害のためだけに号令を発している裸の王
様。外務省をはじめとする、行政は自己増殖のみを是とするモンスター、アメーバーなのだ。人格などという高尚
なものは、行政システムの名においてとっくの昔に葬り去っている者たち。曽我さんの言葉にならない苦しみを素
直に共感することさえ出来ない似非エリート集団。この集団の中には、橋田さん、小川さんを無謀だと馬鹿にして
も、批判できる資格のある者など一人として居ない筈だ。●最後に、橋田さん、小川さんのご冥福を心よりお祈り
する。さあ、どうぞ横になってお眠り下さい。お疲れ様でした。
<赤組・白組>
●運動会をするなら、赤組と白組が必要である。かくれんぼをするには、鬼と一般参加者が必要だ。馬乗り
をするなら親と子が必要になる。●拉致問題で一番熱いのが、当事者である親子や、親戚であるのは当然
としても、一番冷たいのが、わが国の首相小泉氏であるとは恐れ入る。●首相にとって国民とは何であるの
か、我が子同然の意識をもって救済に当たらねばならぬはずが、選挙目当ての保身の道具にするとは論外。
●国民と首相の間には、並立することを許さない深い溝があることが明確となった。●それは、単なる立場
の差や、赤白の差というものではない。
<愛は何処から来るか>
●日本の儒学者・荻生徂徠は、小説のことを所詮「男と女の好いた、はれたの物語」だと断じた。
男と女の愛は、真偽の及ぶところではなく、人間の情念のなせる妄想世界の出来事であって、
研究の対象にはならないのである。●世界中の男と女の物語をつなぎ合わせれば、恐らくエンド
レスで展開され、くっついたり離れたり、誤解したり、喧嘩したり、結婚したり、離婚したり、不倫し
たり、それがバレたり、とめどなく物語は続くだろう。●男と女の愛は、常に流動的で、定まりが無
く、相対的で、絶対的ではない。●しかし、人は、心の何処かで、確かな愛を求めているようなとこ
ろがあって、絶対に、死んでも手放すものかと思い、手放すはずはないと思える「愛」を、結局は手
放さざるを得ない状況に追い詰められてしまうこともある。●父親の娘に対する愛は、そうしたもの
の一つではないだろうか。愛情を注いで育ててきた娘を、突然何処かの男に連れ去られてしまうこ
とを、メデタイと言いながら、やはり割り切れぬ思いを抱きつつ、手放すことも「愛」なのだと分かっ
たような、分かりたくないような呪文を繰り返しながら、その現実を受止め、許さなければならない
心情は察するに余りあるものだ。●自分とて、嫁の父親に対して同様の犯罪を犯してきた身であ
れば、自ら輪廻転生、因果応報世界の塵に過ぎないことを悟らねばならないだろう。●娘は、娘で、
カレシって私を縛ろうとするのよね・・・・っていうか・・・縄で縛るんじゃなくて・・・私が携帯に出ないと
スッゴク超怒るんだけど・・・・私だって、私の生活があるし・・・・何時も見張られているっていうか・・・
気持ちがやすまる時が無いっていうか・・・もう、ヤダ●「君は彼と別れたほうが良い。君と彼の間に
は愛情が無いんだ」と、言ってやろうと思ったけれど、他人の生活に干渉するのは止めにした。●大
体、カレシ、カノジョと、語尾を上げてお互いを呼び合う今時の男女関係っていうのはどんな関係なの
だろう。●・・・・つづく
<「新潟の棟梁たち」という職人集団>
●時代がどんなに変わろうと、家を造るのは大工さん、棟梁たちです。●確かに、現場で組み立て
るだけのプレハブ住宅の場合は、大工仕事が急速に無くなっています。●鉄骨の組み立て、コンク
リート板の組み立てなどは、専門の職人が請け負っています。●でも、仕上の木工事は大工さんの
役割です。●腕の立つベテランの大工さんは、歳には勝てずに辞めていきます。当然、若い大工さ
んが腕を磨く機会も少なくなっています。つまり、腕の立つ大工さんの数は急速に少なくなっている
訳です。あと、何十年、否、十数年すれば、大工さんそのものが、珍しく、貴重な存在になるかもし
れません。●大工さんは、ハウスメーカーの営業とは違って、口達者ではありません。毎日、現場で
仕事をしていますから、営業に出かける時間的な余裕も、方便もありません。●大工さんは、お付き
合いのあるお客様を大事にしていますから、呼ばれれば、どんなに細かな用事でも伺います。だから、
なおさら新しいお客様と出会う機会がありません。●代々続いてきたお客様とのお付き合いも、息子が
東京へ就職したとか、若夫婦がプレハブの家を新築することになった等で、先細るばかり。●大工さ
んも、現状を打破して、新しいお客様と出会う機会を積極的に創っていかなければならない。情報を
発信しなければならない。「大工はここにいます!」「良い仕事してますよ!」「プランも予算に応じて自
由自在!」●大工の魅力をより多くの方に知っていただこう!ということで「新潟の棟梁たち」という
無料情報誌ができました。多くの方々から反響をいただき、木造在来住宅への関心の高さを実感しま
した。●そして、先日、4月の24、25日、新潟市産業振興センター「日報住まいのリフォームフェア」で、
「新潟の棟梁たち」はブースを構え、展示会デビューしました。●棟梁たちのブースを訪れ、相談する
来場者は後を絶ちません。棟梁たちが、お客様の質問や、疑問に応えているうちに、2日間があっと
いう間に過ぎてしまいました。●棟梁たちは「家に関する相談事がこんなにイッぺあるか」と驚くとともに、
棟梁たちに寄せられている要望や、期待の大きさを実感しました。●さて、「新潟の棟梁たち」が今後
どうやって皆様の要望や期待に応えていくかトッテモ楽しみです。「新潟の棟梁たち」の活躍にご期待
ください。また、どんな小さなことでも「新潟の棟梁たち」に一声かけてください。新潟の棟梁たち
●ご相談は、「満天新潟」掲示板もご利用ください。
<人で無し>
●介護保険のサービスを受けるには、要介護認定が必要であり、1から5までの段階がある。 要介護と認められなかった人は、要支援となり、受けることができるサービスや支給限度額 が限られる。要支援にならなかった人は、自立と判断され、介護保険サービスは受けられな い。●厚生労働省は、要支援の人に現在支給されている福祉用具のレンタル、購入費用を止 めようと言い出した。要支援の人に車椅子等の費用を支給すると、歩かなくなり、介護度を 重度にするというのがその理由だ。●全く、余計なお世話である。要支援の人が、自分の力 で車椅子を操作して近所のスーパーへ買い物に行く、介護者が要支援の人を車椅子に乗せて ドライブし、桜を見に行く。そうしたことが、あたかもお年寄りの自立を妨げているかのよ うな主張は実にナンセンスである。●身体は、動かさなければ動かなくなるという、健常者 の立場に立った一面的な健康観だけで何事も押し切ろうとする厚生労働省の言い分には、車 椅子を必要としている人たちの気持ちや実情への理解が全く欠けている。●「近視の人がめ がねをかけるように利用していただくのが福祉用具」(福祉用具供給協会)であって、お年 寄りや障害のある人が、必要に応じて自由に福祉用具を使うことは、日々の暮らしの活動性 や、安全性を高めるものなのである。●車椅子を利用して行きたい時に行きたいところへ行 くこと、転倒の不安がある場合に危険を回避することなど、高齢者や障害者にとって車椅子 や杖などはとても重要な道具なのである。●厚生労働省は、現状より更にお年寄りの身体の 健康と、心の健康、ひいてはお年寄りや障害者の生きがいに目配り、心配りすべきであり、 それが、本来の「介護予防」ではないのか。●このまま、福祉用具サービスを打ち切るよう なことがあったら、厚生労働省は人で無しである。そんな組織は、わが国に必要無い。
<平成16年新春メッセージ 素案>
企画、開発はシーズ、 販売、メンテはニーズに応えることに 眼目があります。
社会と個人のニーズに応じて、 提案し、 施主のハイタッチな満足を追求する 情報力と実行力、そしてセンス。
センスは、 常に磨かなければすぐ曇る。 センスを磨くためには、 本物に触れ、 本物を見極め、 本物を真似ることから始まり、 いつしかオリジナルの本物に到達する。 本物に触れることが出来なかった人は、 最期まで偽物を具現し続ける。
歳だから回りにホカされていると嘆く人は、 本質的な問題が、 実は、歳ではなく、 新たなものに触れ、吸収するバイタリティーを失っていないか 振り返ってみる必要がある。
何十年も仕事をしているから、 存在意義があるのか? 他に替えられない、豊富な経験や知識、センスを 今に生かすことができなければ、 不要の長物と言われても仕方が無い。 今を支え、将来を支える若者と 共に語り合える人でなければ 単に「ケムタイ人」なのです。
「若者」は、どんな人が好きなのでしょう? そんなことを、考えたことありますか? スナック○○の▼▼ちゃんの好みは知りたいけれど、 「若者は・・・」と言われるとねえ・・・ ある若者雑誌の企画で、 アンケートを採ったことがあるのですが、 第一位は「一所懸命な人」でした。
若者は決して自分に対して一所懸命 に接して欲しいと言っているのではないでしょう。 一所懸命な後ろ姿が好きなんだと思います。 お仕着せがましくなく、 一途な姿にあこがれているのではないでしょうか。
実は、それこそ、若者に足りない要素であることを 彼ら自身が自覚していることに他なりません。 自分に無い、弱い部分を 大人に期待しているのだと思います。
大半の若者は、恐らく 父親にもそうした一途な部分を感じることができないでいる のだろうと想像できます。
本物は本質が評価され、 偽物は形質が評価される。 本物には信頼が、 偽物には疑念がつきまとう。 それは、 社会や歴史の評価となって 必ず現れます。
「何が本物なんですか」 「それは、本物を知っている人にしか分かりません」 「何が偽物でしょうか」 「それは、本物を知っている人にしか分かりません」
たとえば、覚えていますか? 豊田商事事件。 あの会社は、 限りなく本物に似せた偽物でした。 形だけで、魂が無い。 あるのは「欲」だけ。 会社も、被害者も「欲」で成長し、 「欲」で滅びたのです。
目先の「欲」で家を造る業者は、 「欲」と、「欲」によって呼び覚まされた「恨み」で滅びます。 「善」と、「真」と「美」で家を造る人は、 「信頼」という目に見えない財産で支えられます。
先日、新潟で何人かの弁護士と話しました。 ほとんどの方は、「欲」と「打算」の塊でした。 「真」、「善」、「美」を感じられる人は ほんの数人でした。 誠に悲しいことです。 知識、技術と魂がアンバランスなのです。 それは、社会のアンバランスな姿を 直裁に反映しているだけなのかもしれません。
信頼を核とする 明快なアイデンティティーは、 ユーザーに対する きめこまかな継続的情報提供の母体です。
情報発信するためには、 確固としたアイデンティティーが不可欠です。 ロケットを打ち上げるために噴射板が必要なように、 弓を打ち出すために、タメが必用なように、 器であるために、空でなければいけないように、 「情報発信」と確固とした「アイデンティティー」は、 互いに欠かせない関係にあります。
情報発信しない、 あるいは情報発信できない背景に、 アイデンティティーを曖昧にしておきたいという 「欲」が存在する場合があります。 「楽していたい」という「欲」です。 常に私が何物であるかを理解することは、 他人が何物であるかを理解することでもあり、 何物にもとらわれない大きな心で 受けとめる必要がある。
「楽していたい」という「欲」は、 「状況の変化に対応しなければならない」という現実的要請と 常に対立、拮抗します。 そうした、対立、拮抗にいつ終止符を打つのか、 アウフヘーベンするのか、 それが度量、または器量です。 つまり、大きな心です。
気をつけなければならないことは、 本人が「楽していたい」という「欲」に気づいている場合と、 無意識の場合があるということです。 やはり、後者の場合が厄介です。 前者は乗り越えるべき壁の前で佇み、躊躇しているだけであり、 計算ずくで留まっているのであり、 いざとなれば、ポンと壁を乗り越えることでしょう。
ところが、後者は、 壁があること自体に気づいていないのです。 滅ぶまで気づきません。 滅んでも、別な要因を指摘するでしょう。 実は「乗り越えようとしなかった自分」に問題があったことに、 最期まで気づかないのです。
「在るものを、在るがままに捉える」 これほど難しいことは無い。 素直な心を保つことは、 誠に難しいことです。
永平寺へ行ったことがあります。 365日修行に励み、 己の姿を見つめつづけ、修行に励む人々。 私は、3日で十分でした。 己の問題など、 取るに足りないものであると・・・。 むしろ、私が生きているフィールドで、 自分が出来ることは何か? そのために、命を費やすことで、 十分であると。 そして、自分が出来ることなど 他人にとっては 取るに足ら無いことであると。
誰にも必ず訪れるのは、 老化と死です。 であれば、 それまでの命を どう生きるか?
「人は死ぬまで生きる。」 という真実を 自分なりにどう受け止め、 自己実現するか?
人生は、 タイムリミットのある 命がけの行為の集積です。
自分にとって大切なものの為に 費やすのが命です。 あなたにとって大切なものは何ですか?
無いなら、見つけてください。 忘れているなら、思い出してください。 考えたことが無いなら、考えてください。 落としてしまったら、拾ってください。 気づいていないだけなら、気づいてください。 あなたのそばにあるなら、抱き寄せてください。
無垢の心は、 直感的に本質を捉えることができるはずです。 ユーザー認知の質的な究極は、 子供の感性に訴え、 子供の認知を得ることです。
料理を作ってみましょう。 子供が「おいしい」という料理は本物です。 無垢の子供は正直です。 他人に正直? それはそうですが、その前に 自分自身に正直なのです。 成長の過程で、いろいろな混ぜものを摂取して、 そのうちに、本物が何であるかを忘れてしまいます。 味覚も、身体も、心も、価値観も同じことです。
子供を安心して生み、子供がスクスク素直に育つ社会。 私たちは、そうした社会づくりを目指すべきでしょう。 残念ながら、そうした視点が今の社会づくりには欠けているようです。
住まいも、 子供がスクスク育つ家こそ 究極の家ではないでしょうか。 そのとき、「家」というものがもつ意味に、 建物という物としての捉え方だけでは十分ではない要素が 加わってきます。 また、家という建物に 何時の間にか付け加えられてきている 余分な要素に気づかされます。
そろそろ、私の独言にも 付き合いきれなくなっていることでしょうが、 終着駅はもうすぐそこです。
本物の家造り。 本物のアフターフォロー。 生涯のお付き合い。
実行し、知らせるという 連鎖的行動力。 やってるだけでは分からない。 分かっただけでは物足りない。 有言実行。実行有言。 見る、聞く、考える、話す、実行する。 PLAN,DO,SEE! 良い仕事の原理原則は、 どこの世界も同じ。 建築における良い仕事とは、 建築することだけではありません。 よく聞き、よく見、よく考え、よく話し、実行し、 後始末をしっかり決める。 そうした、終わりのない連鎖、循環です。
できるだけ経済的に ユーザー認知を得ることに 特化し、 実効性のある情報提供を可能にする情報システム。 それが、情報誌「新潟の棟梁たち」です。
看板だけPRするのではなく、 何を考えているか、 何をしたか、しているか、 誰がやっているのか。 何をしようとしているか・・・ をユーザーにお知らせします。
ユーザーに知らせるということは、 知らせる自分自身が何物であるかを 明確にしておかなければなりません。 それを、「アイデンティティー」と呼びます。 アイデンティティーのないPRを 「ウソ」、「誇大広告」と呼びます。
「広告なんか所詮でまかせさ!」という評価は 半分当たっています。 半分というのは 100ある広告のうち50の広告がでまかせなのか? 100ある広告の、100の広告の50パーセントがでまかせなのか?
「男なんか信用できない」という女性は、 男なら全員を信用できなくなったのか、 つきあっていた男を信用できなくなったのか、 女なら信用できるのか?
男は女を差別しているというが、 全ての男が女を差別しているのか? 女は、男を差別していないのか? 差別とは何か?
他人にはウソを言える。 しかし、自分自身にはウソはつけない。 アイデンティティーの確立の過程には、 事実に基づく自信や、信念が不可欠です。
現在のアイデンティティーの壁、 それが今、流行の「ばかの壁」です。 アイデンティティーは常に新たな地平を求めるものなのです。 それを妨げるのが「ばかの壁」です。
パラダイムという概念があります。 天動説で世界を説明していたのに、 地動説という新しい世界の解釈法が生まれてくる。 一つの体系が、他の体系に置き換えられる。
それが、パラダイムの変革です。
人間とは何か? 世界とは何か生命とは何か? という問いに対して、 その答えは、 時代と共に変化するものなのです。
つづく・・・
<おばけ>
▼母方の祖母は、面白い人で、買い物の途中など、何気なく隣りの人に独り言のように何だかんだ とおしゃべりを始める。▼隣りの人は、ふーんとか、へーとか言っている間に、すっかり祖母の話 のとりこになり、何ともなく身の上話を始める。結局、祖母は、情報提供することによって、より 以上の情報収集を果たすわけだ。▼だから、祖母は人々の事情に詳しかった。家族はどうで、何処 に勤めていて・・・という情報の宝庫であった。友達も大勢居た。▼その一部始終を、子供ながら 感心して見ていたものである。▼その祖母に、お化けの話をした。どこどこで、「お化けが出るん だって」▼祖母は、「おばけなんて、怖がることは無い。いやなら、あっちへいけと追い払えば良 い」「本当に怖いのは、生きている人間。盗んだり、人殺しをしたり・・・その点、おばけはそん なことはしない」▼以来、お化けは怖くないんだと言い聞かせつづけて、数十年が経過しようとし ている。
<乗り越えるべきもの>
▼人には乗り越えるべきものがある。そう、あなたにも・・・▼愛するものとの分かれ。達成できない 望み。失敗。小さな自己。老化。病気。障害。言語。距離。迷い。不信。裏切り。プライド。劣等感。 羞恥心。偏見、慣習、惰情、惰性・・・▼その、乗り越えるべきものが見えたとき、人はもう既にその 壁を半分乗り越えている。▼乗り越えるべきものが、何ものであるか分からないとき、それはきっとあ なたの心の中のどこかにに潜み、「そんなものなどあるわけが無い」と諭す。▼分からないなら、分か らないままでいい。▼分からないということそのことが、あなたの乗り越えるべきものなのだから。 ▼自問自答を繰り返すしかない。いつか、それが何であるか分かる時が訪れるかもしれない。催眠術か ら解き放たれる時のように。▼そしてまた、乗り越えるべきものの前で佇む。▼人が乗り越えようとす る限り乗り越えるべきものに終わりはない。
<空腹>
▼「人はパンのみに生くるにあらず」と新約聖書マタイ福音書にある。人は、空腹を満たすために生きている
のではなく、精神を満たすためにも生きているのだと言おうとしているのだろうか。▼人は現実的な利益のみ
を追求して生きるのではなく、愛や哀れみや、感動といった目に見えない大切なものも忘れてはならないと言
っているのだろうか。▼逆説的に解釈すれば、パンのみではないと言うのだから、パン以上に大切なものない
ということになる。まず、パンを大切にし、そして愛も大切にしなさいと言っていっていることになる。▼「まず、
お腹を満たしなさい、そして精神を満たすことも忘れないように」と・・・。「食足りて、礼節を知る」という意味に
限りなく近い。▼しかし、どうだ現実は?食足りて、礼節を忘れているではないか?食足りて、殺人が横行。そ
れが、現実だ。「食足りて礼節を知る」という教えが誤りであることが現実的に証明されたといって良い。▼食
が足りるということを理解するためには、食が不足するとはどういうことかを知らなければならない。▼空襲で
家族を失った公一は、何かあったら新潟のおじさんのところへ行きなさいという母の言葉通り、命からがらよう
やく目指す叔父の家にたどり着いた。道中、口にしたものといえば、子供服にしては上等に仕立てられた上着
と交換して手に入れたお握り2つと、農家の軒先にぶら下がっていた干し柿一つであった。
「どうしたんだ。公一じゃねえか。お前一人か?お母さんたちは?」
叔父は、縁側にボーと立っている公一に駆け寄り、公一の両肩をギュッと掴んだ。
「死んだ・・・」
「死んだ?・・・・・・まあ、いいから上がれ。腹減ったろう」
「・・・・」返事をしようとするが言葉にならない。うなずくだけで精一杯だった。
「そか、そか。おい!飯だ、飯、飯炊いてやれや」
「食え。遠慮なく食え。でも、あんまり急いで食べるなよ」
公一は、叔父の言う通りできるだけゆっくり食べようとするが、
勝手に飯の方から喉に飛び込んでくる。
湯気を立て、白く光る飯を一口ほおばると、胸の奥からこみ上げてくるものが、涙となって零れ落ちてきた。
悲しいのではない、嬉しいのでもない。
公一はこみ上げてくる涙と一緒に飯を食べ続けた。
父も、母も瓦礫の下敷きとなってしまった。
しかし、確かに俺は生きている。
俺は生きているという実感が、
青ざめた身体の隅々に行き渡っていくのを感じていた。
<自立>
▼いつも渡り慣れている交差点で、足が前に進まない。信号は、確かに青だ。車も行儀良く停止線で
止まっている。足りないものは、横断歩道の白線であった。▼舗装したばかりの道で、まだ白線が引
かれていなかっただけで、こんなに渡りにくくなるものかと我ながら驚く。慣れというものは恐ろしい。
▼子供たちに「青信号」の意味を聞くと「進め」でしょと答える。彼らは本当に「進め」と教えられている
のだろうか▼信号が青になったら右を見て左を見て、ていねいに教えるならばもう一回右を見て渡り
ましょうと・・・▼約束事だけを教えるのが教育の眼目ならばそれでいい。しかし、自分の生命を守る
すべを教えるのであれば、「自分を傷つけるかもしれない危険なものは回避しよう」つまり「信号が青
だろうと、赤だろうと、たとえ信号が無くても、車が来ないのをしっかり自分の目で、五感で確認して渡
りましょう」と教えるのが教育の重要な役割だ。大人が子供にどの階層レベルで真と偽を教えなけれ
ばならないかを示す好例である。▼約束事や、定理や公理を教えるのではなく、自分の感性で、自分
の頭で考え、判断する力を養う手助けをするのが教育ではないか。▼横断歩道の前で、かけっこの
スタートポジションよろしく、青信号を待つ子供の姿を見るたびに、足元の大事なものを忘れかけてい
る日本人の精神構造を垣間見る思いがする。▼本当に大事なものは、青信号になったら渡ることでは
ないんだよ。「安全を確認することなんだよ」そうつぶやく。ちなみに、「青信号」の本当の意味は「交差
点を渡る事ができる」であって、「進め」ではない。▼日本人が、日本の行く末を本当に自分の感性で考
え、判断できる日は何時なのだろうか?日本人が一番大切にしなければならないものに気づく日は何
時のことだろうか?あれよあれよという間に、また投票日がやってくる。
<家造り>
▼家を建てるというのは、進学、就職、結婚と並んで人生の一大事業。お金があって、ポーンと費用を出
せる人はいいけれど、定年退職までつきまとうローンを組んで建てる人、なけなしの退職金をつぎ込む人
など、苦しい家計をやりくりして建てる人も多い。▼せっかく夢のマイホームを手に入れるのだから、使い
勝手の良い、丈夫で、長持ち、オシャレな家が欲しくなる。限られた予算でいかに満足できる家を建てら
れるか。ローンで手に入れる家とはいえ、マイホーム完成までの道のりはまだまだ遠い。▼やっと完成し
たと思ったら、欠陥住宅だったということになれば、泣いても泣ききれない。そんな目に遭ってたまるかと、
懸命に住宅造りの本を読み漁る。「家は人生の大切な財産ですから、信頼できる業者を選びましょう」と、
ほとんどの本に書いてある。が・・・その「信頼できる業者」が分からないから困っているんじゃないかと
不満がつのる。▼当たり前のようで、当たり前でないのが、この「信頼」という二文字。入居1週間も経た
ないのに、戸が開かなくなったり、床がゴトゴト鳴り始めたり、壁がはがれてきたり・・・・。新築なのに、リ
フォーム屋さんの訪問を受けて、「そろそろ外壁を塗り替えたらどうですか」などと営業されるに至っては
死んでも死にきれない。▼「クレーム」を何回言っても、一向に直そうともしない請負業者の冷ややかな態
度。そこで、初めて「信頼できない」業者の意味が分かる。幸せの一つを実現し、満足感に浸るマイホーム
取得者が、一転して欠陥住宅被害者という気の毒な立場に追いつめられる事例は後を絶たない。▼これ
から家を新築、リフォームされる皆さんは、どうか「信頼できる業者」を選んでください。一方、家を建築する
業者の皆さんは、造っているのは「家」ですが、築いているのは「信頼」であることを再確認して欲しいもの
です。「家」は建て直せますが、「信頼」は建て直せません。▼建てたい人と、建てる人が幸せな巡り会いを
すること、これが「良い家」を造る原点。人類が宇宙開発をしている時代に、地べたで、剥がれた壁、雨漏
りのする家で泣きながら暮らす家族がいるという現実の姿は余りにも情けない話である。
<仕事>
【その3】ミスをしてしまったら
「ほうれんそう」をこまめに心がけていても、ミスをしてしまうことはあります。もし、あなたがチームの責任者ならば、メンバーのミステークについても責任をもたなければなりません。ミスを生じてしまったら、できるだけ早く、そのミスによって困ってしまう人に「ミスが発生した事実」と「陳謝の意」を伝えましょう。その時、あくまで早さが大切です。早く対処すれば、損害を最小限にとどめることが出来るからです。「言い訳」は不要です。早急に善後策に着手することが第一です。「ところで、そのミスはどうして生じたの?」と聞かれてから、説明できることは説明しましょう。分からなければ「現在、調査中です」と答え、後日、ミスの原因、ミスの再発防止策を伝えましょう。ミスに対する対応がきちんと行われれば、更に大きな信頼を得ることが出来るかもしれません。ミスに対する対応を間違えば、あなたへの信頼はゼロあるいはマイナスとなり、取り返しがつかなくなる可能性もあります。また、ミスの発生原因がこちら側にあるのか、先方にあるのかが明確でない場合は、とりあえず善後策の実行に終始し、「陳謝」すべきかどうか慎重な判断が必要になる場合もあります。(2002.2.27)
【その2】ミスの原因は「ほうれんそう」不足
仕事や日常生活で生じるほとんどのミステークは、「ほうれんそう」が足りないことから生じると言われます。つまり、この「ほうれんそう」欠乏症に気をつけてさえいれば、ほどんどのミスを無くすことが出来る訳です。「ほうれんそう」が徹底している組織は、おのずと内にも、外にもガラス張りのクリアな状態になります。ミステークが無くなるなるばかりか、組織が抱えている本当の問題点が焙り出されます。もちろん、悪いこともできにくくなります。外務省が、様々な政治家から要望され、指摘される内容を文書によってのみ受け付けるようになれば、「変な意見」を押しつけられることは無くなるでしょう。くしくも、宗男ハウス入札問題の真相究明に外務省の機密文書が役立とうとしています。この機密文書、これは本来機密にしなければならない内容なのではなく、お役所の業務記録として日常的に公開されなければならない情報なのです。政治改革、構造改革をするのであれば、情報公開というグランド整備が前提としてなければならないのではないでしょうか。(2002.2.22)
【その1】仕事の基本は「ほうれんそう」
報告、連絡、相談を「ほうれんそう」と言います。「ほうれんそう」ができない人は、仕事をしているとは言えません。「お前は、そんなことまで報告するか」と、お客様や上司から苦情を言われるくらいで丁度良いのです。がんばって、「ほうれんそう」しましょう。家庭でも、やかましいくらい「ほうれんそう」の絶えない家は、きっと明るい家族でしょう。「ほうれんそう」は、やっぱり元気の源です。エリートと言われる外務省の方でも、「ほうれんそう」の大切さを理解していない人が居るというのは驚きです。日本の外交が3流と言われても当然でしょう。頭がいいのに、常識知らずな奴・・・こういう奴が日本を駄目にしているのです。日本の子どもたちの未来を台無しにしているのです。日本を精神的鎖国状態にしているのです。市民一人一人の力で日本を開国しましょう。(2002.2.19)